2008年05月28日
佐賀市の野良猫対策~地域猫という取り組み方
昨日、佐賀市による、第1回佐賀市地域猫推進基本方針策定委員会が開催されました。
私も委員として出席しました。
佐賀市副市長、部長、課長、係長らが佐賀市側として出席、専門家委員2名、地域(自治会)委員2名、愛護団体1名、県動物愛護推進委員1名、県行政から1名、そして、公募の市民が1名、という構成でした。
統計によると、推定2000頭(統計なのに推定)の猫が市内に生息しており、そのうち、飼い主のいる猫と飼い主のいない猫があるわけです。
飼い主のいない猫を野良猫といいます。
その野良猫対策をどうするか、というのが、今回召集された委員会でした。
野良猫を減らすのか減らさないのか、そのためにどのような方針を持って佐賀市は進もうとしているのか、という説明は、実は一切ありませんでした。なので、質問したら、以下のようなことになりました。
佐賀市は、他県で野良猫を減らすために苦肉の策として始められた「地域猫対策」を、何の審議もなく取り入れて、そっくりそのまま真似していこうとしていました。「何のため?」という話はすっ飛ばされ、はじめから「地域猫対策ありき」で話が進んだのは、大変不親切な会議でした。行政としては、今後、野良猫を減らす目的があるかどうか、ということの話はまったくされませんでした。
『地域猫』とは、行政もお金を出して、野良猫捕獲作戦を実施し、すべての野良猫に不妊・去勢手術を施し、これ以上野良猫が増えないようにする。その上、地域で、自治会等が合意に達したところでは、その猫たちにエサをあげる、清掃をする、糞を片付ける、死骸を片付ける、等の世話に関する担当者を地域で決定し、その人に託して、地域ぐるみで猫を飼っていく、というやり方が、『地域猫』と呼ばれる、官民一体となった新しい方法論で、地域で生息する猫を管理するシステムです。
エサやり担当になる人は猫好きでしょうから、これまでこっそりエサを与えていたのが、堂々と与えて良いことになるので、嬉しいかもしれません。しかし、担当の役割には、エサ以外にも、清掃や片付けといったものもあり、それができなければ、余計に苦情が発生しないとは限りません。
また、地域を限定して行うのですが、その地域は住民全体のコンセンサスが得られなければならないのです。
この対策には、猫が嫌いな人も、その地域に猫が生息しえさを与える人がいることを了承しなければなりません。
特定の地域でエサをもらえるとわかると、猫たちはえさを求めて移動します。
その地域は、東京都での地域猫対策をやった地域で発生したように、むしろ地域に生息する猫が増えていく、ということも今後考慮されます。
猫が苦手だったり、猫で喘息などのアレルギーを持っている人はその地域で住み続けることが心地よいでしょうか。
いつまで、その状態でいられるでしょうか。
お世話する人が倒れたりしたら、その後はどうするつもりでしょうか。地域としては、自治会などで、その猫担当を誰かが引き継がなくてはなりません。ボランティアです。
私も住民税を払っている一市民で、今いる猫の命を大切にしたい気持ちは同じですが、行政の施策となってしまうと一般市民としては血税を使うのですから、今回のガイドライン策定にあたって、『ただ単に、今野良猫となっている猫にえさを与えて地域で暮らせればよい。助けてあげたい』のか、そもそも、何のために今日召集されたのか、ということの基本方針を聞きたかったし、自分の住んでいる地域に指定されたら、自分はどうなるのかを具体的に想定しながら、いろんな角度から質問をしたのですが、その質問が、気に障ったみたいでした。
なぜ質問を繰り返したかというと、他県で行われている地域猫対策は、『不妊を施した猫たちが生涯を終えるまでは命を大切にして面倒を見るが、その後は増えない増やさないようにし、最終目的は飼い主のいない猫を無くす!』のが目的なのですが、佐賀市はその点があいまいだったからです。
『佐賀市は、未来永劫、猫を地域で飼っていくと方針を立てているのか、それとも、飼い主のいない猫はこの対策によって将来的に無くすつもりなのか?』
2名の担当官の方が、まったく正反対の回答をされましたので、それを指摘しました。
とうとう腹を立てられてしまいました。
地域猫対策に関して、野良猫苦情がもとで発想したということは聞いていますが、その野良猫=飼い主のいない猫について、佐賀市は今後、愛護の観点からどうもって行くつもりなのか、まったく話し合われていない様子が露呈していました。動物愛護に関しては、日本は明らかに後進国です。先進国である英米では、野良猫はいません。命が大切に管理され、飼い主のいない猫ということはありえないのです。
ある担当官は、「野良猫はいなくならない。なので、ずっと地域猫対策は続けていく」と断言されました。
しかし、猫が苦手な住民側に立てば、『いなくならないのであれば、その地域には住めない。住みたくない。いつかは飼い主のいない猫はいなくなるよう推進するため、というのであれば、20年くらいは我慢するが』という気持ちの人が大多数なのではないでしょうか。
よっぽどの愛護活動をしている人か、よっぽど猫嫌いか、そういう人たちは意見がはっきりしてると思いますが、むしろ、そのどちらでもない大多数の人たちのことを考えた施策であるべきだと考えますが、佐賀市は『今野良猫をナントカしないといけないからそのために「地域猫対策」という他県で行っている方法を取り入れるが、その後のことは考えていない』ということでした。もう一人の担当の方は「将来のことは、情勢を見ながら変わる可能性がある」と、まだ不安定なことを述べました。動物愛護の観点からは、世界の情勢はすでにはっきりしているですよ、と、会議後その方に言いましたら、言葉を濁されました。勉強不足も露呈しています。動物愛護の観点からは、飼い主のいない猫はいないようにもっていく、それが行政の責任なのです。日本の法律では、猫には狂犬病のような致死病を伝染させないから取り締まれないままにしているそのことが、すでに後進国なのです。現代社会では、犬も猫も、野生で生息できる社会ではなくなっているからなのです。だから、野生の猫とか、猫が野生化した、とは言わず、野良猫、猫が野良化、という表現が文化の中で生まれているのです。猫は食べ物の関係で、食の環の観点からも、野生化はほとんど難しく、人間社会の中か周辺にいないと生息できない状態になっているのです。もし野生化をも考慮するならば、野鳥などのようにサンクチュアリ=保護区の設定も視野に入れなければなりませんが、現代日本の猫の場合は、それは現実的とはいえません。
英米のように、将来的には、飼い主のいない猫はつくらない!
そのための飼い主教育や飼い主に課される義務についても、考えていくべきではないでしょうか。
飼い主側の義務についてですが、猫には以下のような特性があるので、飼い主の飼い方が重要になります。
猫はしつけられない、というのが、通常言われていることです。
よほど飼い主が躾のプロで生まれた時から条件付けをしていれば、いくらかの躾もできないわけではないようですが、やはりかなりコントロールが難しい生態をもつ動物です。
なので、飼い主に義務を課す方法を取るのが英米ですが、日本の動物愛護管理法は、猫についてはそこまでの猫と人間の共生についての理念は盛り込まれていません。それが混乱のもとでもあるのですが、動愛法に書いてないからできない、との一点張りは、行政の発想として違うのではないかと思います。地方自治の時代ですから。
何も英米の真似をしろと言っているわけではない。すでに愛護先進国でできていることを、「野良猫はいなくならない!」と決め付けるその姿勢は、行政としてのビジョンに欠けると思い、むしろ、今、「地域猫推進ありき」で佐賀市が野良猫対策を進めていこうとしているその姿勢が、むしろ疑問に思えてしまったのでした。
『地域猫』は、野良猫苦情に窮した自治体が将来ビジョンを持ちながらも、今生息している猫の命を大切にしながら、社会の中での共生と共に、現代人の暮らしと猫のバランスを共生という観点でうまくアニマルコントロールするために立てた一時的取り組みです。一時的というのは、猫の寿命の期間を指しますが、その後は減らしていく計画です。横浜市磯子区、東京都、千葉県市川市、福岡市、神奈川県川崎市などで実施されています。
佐賀市は、地域猫は無くならない!と断言されました。
ということは、その地域の人たちは、生涯、そして、子どもたちの世代も、それをやっていく、ということです。
世界の猫に関する動物愛護の潮流に照らしても、なんだか変です。
私の意見は動物愛護の観点からも市民としての立場からも、地域猫がそのあるべき目的が確認され、その目的のもとに方法論が具体化され、各自治体の方々が納得して取り組むことができるならば異議を唱えるつもりはありません。しかし、その策定のプロセスにおける行政の姿勢はもっとしゃんとして欲しいしビジョンを持っていて欲しいし、さらには、住民を教育するつもりでいて欲しい。動物愛護に関しては、今ある国の法律だって不備だから、それが「ありき」で進めてはならない、「なぜなのか?」にきちんと説明のできる計画を持って欲しい、ということです。「できないできない」といっていては何も変わらない。オバマではないけれど、行政こそ、新しい視野と方法論を提供でき、住民が安心できるように、そして、社会的弱者である猫との正しい共生のあり方を長期的見通しを持ってCHANGEを生み出して欲しいと願っているのです。
そして、猫に関しては(犬もですが)、飼い主の意識やマナー向上についても、もっと重要に位置づけて推進しないと、「捨てる人がいるから」野良は増えるし、そもそも猫は家につくといわれながらも犬のようには人に懐かないし、移動もするので、どの猫が飼い主がいてどの猫が飼い主がいないのか、判別がつきにくいです。登録制、あるいは、マイクロチップ挿入等も、将来的には義務化する、などの、飼い主が野良猫を出さないようにすることも行政指導していくことで、佐賀の文化性は高まっていくと考えています。
そのために多数の質問と意見を出しましたが、佐賀市は佐賀県と違って、自分たちが出した計画と違う観点の意見が出ることは慣れておられないようでした。
出された計画を承認するだけの会議だったのかな、と、あとで思いましたが、それでは住民が困ります。
皆さんはどう思いますか?
佐賀市は、パブリックコメントを募集します。
平成20年6月下旬から7月中旬まで。佐賀市ホームページで募集がかけられる予定です。
皆さん、ふるって、ご意見を出してください。
市民の皆さんの生活に関わることです。
私は、ここまで意見を出しましたので、パブリックコメントにも書きますが、決定したら、従いますよ。
従うためにも、皆さんがどんどん意見を出してくださって、どこの真似でもない、佐賀市オリジナルの猫対策ができるともっと素晴らしいと思います。
パブリックコメントは誰でも行政施策に参画できる唯一の方法です。
皆さん、ご一緒に意見を出しましょう!

この猫は、知人がレスキューし、不妊手術を施して、心優しい新しい飼い主のもとにもらわれていった猫です。
私も委員として出席しました。
佐賀市副市長、部長、課長、係長らが佐賀市側として出席、専門家委員2名、地域(自治会)委員2名、愛護団体1名、県動物愛護推進委員1名、県行政から1名、そして、公募の市民が1名、という構成でした。
統計によると、推定2000頭(統計なのに推定)の猫が市内に生息しており、そのうち、飼い主のいる猫と飼い主のいない猫があるわけです。
飼い主のいない猫を野良猫といいます。
その野良猫対策をどうするか、というのが、今回召集された委員会でした。
野良猫を減らすのか減らさないのか、そのためにどのような方針を持って佐賀市は進もうとしているのか、という説明は、実は一切ありませんでした。なので、質問したら、以下のようなことになりました。
佐賀市は、他県で野良猫を減らすために苦肉の策として始められた「地域猫対策」を、何の審議もなく取り入れて、そっくりそのまま真似していこうとしていました。「何のため?」という話はすっ飛ばされ、はじめから「地域猫対策ありき」で話が進んだのは、大変不親切な会議でした。行政としては、今後、野良猫を減らす目的があるかどうか、ということの話はまったくされませんでした。
『地域猫』とは、行政もお金を出して、野良猫捕獲作戦を実施し、すべての野良猫に不妊・去勢手術を施し、これ以上野良猫が増えないようにする。その上、地域で、自治会等が合意に達したところでは、その猫たちにエサをあげる、清掃をする、糞を片付ける、死骸を片付ける、等の世話に関する担当者を地域で決定し、その人に託して、地域ぐるみで猫を飼っていく、というやり方が、『地域猫』と呼ばれる、官民一体となった新しい方法論で、地域で生息する猫を管理するシステムです。
エサやり担当になる人は猫好きでしょうから、これまでこっそりエサを与えていたのが、堂々と与えて良いことになるので、嬉しいかもしれません。しかし、担当の役割には、エサ以外にも、清掃や片付けといったものもあり、それができなければ、余計に苦情が発生しないとは限りません。
また、地域を限定して行うのですが、その地域は住民全体のコンセンサスが得られなければならないのです。
この対策には、猫が嫌いな人も、その地域に猫が生息しえさを与える人がいることを了承しなければなりません。
特定の地域でエサをもらえるとわかると、猫たちはえさを求めて移動します。
その地域は、東京都での地域猫対策をやった地域で発生したように、むしろ地域に生息する猫が増えていく、ということも今後考慮されます。
猫が苦手だったり、猫で喘息などのアレルギーを持っている人はその地域で住み続けることが心地よいでしょうか。
いつまで、その状態でいられるでしょうか。
お世話する人が倒れたりしたら、その後はどうするつもりでしょうか。地域としては、自治会などで、その猫担当を誰かが引き継がなくてはなりません。ボランティアです。
私も住民税を払っている一市民で、今いる猫の命を大切にしたい気持ちは同じですが、行政の施策となってしまうと一般市民としては血税を使うのですから、今回のガイドライン策定にあたって、『ただ単に、今野良猫となっている猫にえさを与えて地域で暮らせればよい。助けてあげたい』のか、そもそも、何のために今日召集されたのか、ということの基本方針を聞きたかったし、自分の住んでいる地域に指定されたら、自分はどうなるのかを具体的に想定しながら、いろんな角度から質問をしたのですが、その質問が、気に障ったみたいでした。
なぜ質問を繰り返したかというと、他県で行われている地域猫対策は、『不妊を施した猫たちが生涯を終えるまでは命を大切にして面倒を見るが、その後は増えない増やさないようにし、最終目的は飼い主のいない猫を無くす!』のが目的なのですが、佐賀市はその点があいまいだったからです。
『佐賀市は、未来永劫、猫を地域で飼っていくと方針を立てているのか、それとも、飼い主のいない猫はこの対策によって将来的に無くすつもりなのか?』
2名の担当官の方が、まったく正反対の回答をされましたので、それを指摘しました。
とうとう腹を立てられてしまいました。
地域猫対策に関して、野良猫苦情がもとで発想したということは聞いていますが、その野良猫=飼い主のいない猫について、佐賀市は今後、愛護の観点からどうもって行くつもりなのか、まったく話し合われていない様子が露呈していました。動物愛護に関しては、日本は明らかに後進国です。先進国である英米では、野良猫はいません。命が大切に管理され、飼い主のいない猫ということはありえないのです。
ある担当官は、「野良猫はいなくならない。なので、ずっと地域猫対策は続けていく」と断言されました。
しかし、猫が苦手な住民側に立てば、『いなくならないのであれば、その地域には住めない。住みたくない。いつかは飼い主のいない猫はいなくなるよう推進するため、というのであれば、20年くらいは我慢するが』という気持ちの人が大多数なのではないでしょうか。
よっぽどの愛護活動をしている人か、よっぽど猫嫌いか、そういう人たちは意見がはっきりしてると思いますが、むしろ、そのどちらでもない大多数の人たちのことを考えた施策であるべきだと考えますが、佐賀市は『今野良猫をナントカしないといけないからそのために「地域猫対策」という他県で行っている方法を取り入れるが、その後のことは考えていない』ということでした。もう一人の担当の方は「将来のことは、情勢を見ながら変わる可能性がある」と、まだ不安定なことを述べました。動物愛護の観点からは、世界の情勢はすでにはっきりしているですよ、と、会議後その方に言いましたら、言葉を濁されました。勉強不足も露呈しています。動物愛護の観点からは、飼い主のいない猫はいないようにもっていく、それが行政の責任なのです。日本の法律では、猫には狂犬病のような致死病を伝染させないから取り締まれないままにしているそのことが、すでに後進国なのです。現代社会では、犬も猫も、野生で生息できる社会ではなくなっているからなのです。だから、野生の猫とか、猫が野生化した、とは言わず、野良猫、猫が野良化、という表現が文化の中で生まれているのです。猫は食べ物の関係で、食の環の観点からも、野生化はほとんど難しく、人間社会の中か周辺にいないと生息できない状態になっているのです。もし野生化をも考慮するならば、野鳥などのようにサンクチュアリ=保護区の設定も視野に入れなければなりませんが、現代日本の猫の場合は、それは現実的とはいえません。
英米のように、将来的には、飼い主のいない猫はつくらない!
そのための飼い主教育や飼い主に課される義務についても、考えていくべきではないでしょうか。
飼い主側の義務についてですが、猫には以下のような特性があるので、飼い主の飼い方が重要になります。
猫はしつけられない、というのが、通常言われていることです。
よほど飼い主が躾のプロで生まれた時から条件付けをしていれば、いくらかの躾もできないわけではないようですが、やはりかなりコントロールが難しい生態をもつ動物です。
なので、飼い主に義務を課す方法を取るのが英米ですが、日本の動物愛護管理法は、猫についてはそこまでの猫と人間の共生についての理念は盛り込まれていません。それが混乱のもとでもあるのですが、動愛法に書いてないからできない、との一点張りは、行政の発想として違うのではないかと思います。地方自治の時代ですから。
何も英米の真似をしろと言っているわけではない。すでに愛護先進国でできていることを、「野良猫はいなくならない!」と決め付けるその姿勢は、行政としてのビジョンに欠けると思い、むしろ、今、「地域猫推進ありき」で佐賀市が野良猫対策を進めていこうとしているその姿勢が、むしろ疑問に思えてしまったのでした。
『地域猫』は、野良猫苦情に窮した自治体が将来ビジョンを持ちながらも、今生息している猫の命を大切にしながら、社会の中での共生と共に、現代人の暮らしと猫のバランスを共生という観点でうまくアニマルコントロールするために立てた一時的取り組みです。一時的というのは、猫の寿命の期間を指しますが、その後は減らしていく計画です。横浜市磯子区、東京都、千葉県市川市、福岡市、神奈川県川崎市などで実施されています。
佐賀市は、地域猫は無くならない!と断言されました。
ということは、その地域の人たちは、生涯、そして、子どもたちの世代も、それをやっていく、ということです。
世界の猫に関する動物愛護の潮流に照らしても、なんだか変です。
私の意見は動物愛護の観点からも市民としての立場からも、地域猫がそのあるべき目的が確認され、その目的のもとに方法論が具体化され、各自治体の方々が納得して取り組むことができるならば異議を唱えるつもりはありません。しかし、その策定のプロセスにおける行政の姿勢はもっとしゃんとして欲しいしビジョンを持っていて欲しいし、さらには、住民を教育するつもりでいて欲しい。動物愛護に関しては、今ある国の法律だって不備だから、それが「ありき」で進めてはならない、「なぜなのか?」にきちんと説明のできる計画を持って欲しい、ということです。「できないできない」といっていては何も変わらない。オバマではないけれど、行政こそ、新しい視野と方法論を提供でき、住民が安心できるように、そして、社会的弱者である猫との正しい共生のあり方を長期的見通しを持ってCHANGEを生み出して欲しいと願っているのです。
そして、猫に関しては(犬もですが)、飼い主の意識やマナー向上についても、もっと重要に位置づけて推進しないと、「捨てる人がいるから」野良は増えるし、そもそも猫は家につくといわれながらも犬のようには人に懐かないし、移動もするので、どの猫が飼い主がいてどの猫が飼い主がいないのか、判別がつきにくいです。登録制、あるいは、マイクロチップ挿入等も、将来的には義務化する、などの、飼い主が野良猫を出さないようにすることも行政指導していくことで、佐賀の文化性は高まっていくと考えています。
そのために多数の質問と意見を出しましたが、佐賀市は佐賀県と違って、自分たちが出した計画と違う観点の意見が出ることは慣れておられないようでした。
出された計画を承認するだけの会議だったのかな、と、あとで思いましたが、それでは住民が困ります。
皆さんはどう思いますか?
佐賀市は、パブリックコメントを募集します。
平成20年6月下旬から7月中旬まで。佐賀市ホームページで募集がかけられる予定です。
皆さん、ふるって、ご意見を出してください。
市民の皆さんの生活に関わることです。
私は、ここまで意見を出しましたので、パブリックコメントにも書きますが、決定したら、従いますよ。
従うためにも、皆さんがどんどん意見を出してくださって、どこの真似でもない、佐賀市オリジナルの猫対策ができるともっと素晴らしいと思います。
パブリックコメントは誰でも行政施策に参画できる唯一の方法です。
皆さん、ご一緒に意見を出しましょう!

この猫は、知人がレスキューし、不妊手術を施して、心優しい新しい飼い主のもとにもらわれていった猫です。
2008年05月22日
訓練という名の虐待を見た
すごいテレビ番組を見てしまいました。
飼い主の言うことを聞かない犬のために、プロ訓練士を家に招いた家族
その家族の前で、その訓練士は、チョークチェーンと呼ばれるチェーンでできた首輪を巻き、
怖がって余計に過敏になっているその犬が、普段より余計に攻撃的になっている時に、
そのチョークチェーンを引っ張って首を絞め、
苦しんでいる時に、身体を床に転がし、息ができなくてハーハー言って身体が動かなくなった犬を指差し、
「ほら、こうすると、飼い主がリーダーだとわかって落ち着きます」と説明していたのです。
「アルファロールというやり方ですよ。」と得意そうに。
飼い主の奥さんは見ていられなくて頭を抱えて涙を流していましたが、
ご主人は、自分にもできるだろうか、制御できるだろうかと不安を抱えながらも、
プロと呼ばれる訓練士の言うとおりにやってみていました。
犬は、死ぬくらいなら力を抜くことを学習します。
落ち着いて見えます。
しかし、これは、学習性の無気力症になるのです。
学習性無気力とは、刑務所で独房に入れられた人間が陥る症状と同じです。
それを、拘禁反応と言います。
誰も信じられない、生きていく本能で食べるだけ、しかし、生はもう色褪せ、
死ぬ日を待つのみ。
この犬は、きちんと正しく教えられていない。
人を信じること、飼い主を信じること、楽しむこと、社会の一員としてのルールを守れば人生は楽しいこと
何も信じられない、飼い主は嘘つきで怖い人、もう一緒に遊べない
また死ぬ恐怖を味わったら、生存本能は牙を剥くでしょう。
これは訓練という名の虐待です。
動物の訓練にも人道主義と倫理が適用されるべきです。
同じ地球上に巡り合わせた生物同士なのだから。
この訓練士は、チョークの使い方も、罰の使い方も間違っている。
アルファロールは正しい接し方とはいえません。狼や犬の生態にも、強いものが首を絞めながら相手を転がしてリーダーであることを示す、というやり方は存在しません。野生でそこまでやる場合は殺す闘いで、一緒には暮らさないのです。
この飼い主さんたちは、自分がこんな怖い思いをさせたあとも、あるいは、こうして恐怖を味わわせながら、同じ家の中で一緒に暮らし続け、自分のいうことを聞く従順であることができると思うのでしょうか。
何より、10数年一緒に暮らすその間、ずっとチョークチェーンで首を絞めながら暮らしていく、そのエネルギーを持ち続けられるでしょうか。
犬にも心と考える力があります。相手を信用できるかどうか、判断する力があります。
何より、このような動物虐待の訓練の様子が、さも良いことかのようにテレビ番組で放映されること自体が
とことん間違っていると訴えたい私がいます。
チョークチェーンの使い方は難しいのです。素人では恐怖を味わわせるのみ。
一般の飼い主は、むしろ、チョークチェーンを使わずに躾できる方法を学ぶ方が、お互いの絆が深まり、より良い人生のパートナーとなるものです。
チョークチェーンを使わないで家庭犬を指導するには、陽性強化法というやり方があります。
L.E.A.Dプログラムというのもあります。
犬の訓練士も、ちゃんと選んで話を聞きましょう。
選ぶ権利は私たち飼い主にある!
っと、テレビを見て、心に決めました。
飼い主の言うことを聞かない犬のために、プロ訓練士を家に招いた家族
その家族の前で、その訓練士は、チョークチェーンと呼ばれるチェーンでできた首輪を巻き、
怖がって余計に過敏になっているその犬が、普段より余計に攻撃的になっている時に、
そのチョークチェーンを引っ張って首を絞め、
苦しんでいる時に、身体を床に転がし、息ができなくてハーハー言って身体が動かなくなった犬を指差し、
「ほら、こうすると、飼い主がリーダーだとわかって落ち着きます」と説明していたのです。
「アルファロールというやり方ですよ。」と得意そうに。
飼い主の奥さんは見ていられなくて頭を抱えて涙を流していましたが、
ご主人は、自分にもできるだろうか、制御できるだろうかと不安を抱えながらも、
プロと呼ばれる訓練士の言うとおりにやってみていました。
犬は、死ぬくらいなら力を抜くことを学習します。
落ち着いて見えます。
しかし、これは、学習性の無気力症になるのです。
学習性無気力とは、刑務所で独房に入れられた人間が陥る症状と同じです。
それを、拘禁反応と言います。
誰も信じられない、生きていく本能で食べるだけ、しかし、生はもう色褪せ、
死ぬ日を待つのみ。
この犬は、きちんと正しく教えられていない。
人を信じること、飼い主を信じること、楽しむこと、社会の一員としてのルールを守れば人生は楽しいこと
何も信じられない、飼い主は嘘つきで怖い人、もう一緒に遊べない
また死ぬ恐怖を味わったら、生存本能は牙を剥くでしょう。
これは訓練という名の虐待です。
動物の訓練にも人道主義と倫理が適用されるべきです。
同じ地球上に巡り合わせた生物同士なのだから。
この訓練士は、チョークの使い方も、罰の使い方も間違っている。
アルファロールは正しい接し方とはいえません。狼や犬の生態にも、強いものが首を絞めながら相手を転がしてリーダーであることを示す、というやり方は存在しません。野生でそこまでやる場合は殺す闘いで、一緒には暮らさないのです。
この飼い主さんたちは、自分がこんな怖い思いをさせたあとも、あるいは、こうして恐怖を味わわせながら、同じ家の中で一緒に暮らし続け、自分のいうことを聞く従順であることができると思うのでしょうか。
何より、10数年一緒に暮らすその間、ずっとチョークチェーンで首を絞めながら暮らしていく、そのエネルギーを持ち続けられるでしょうか。
犬にも心と考える力があります。相手を信用できるかどうか、判断する力があります。
何より、このような動物虐待の訓練の様子が、さも良いことかのようにテレビ番組で放映されること自体が
とことん間違っていると訴えたい私がいます。
チョークチェーンの使い方は難しいのです。素人では恐怖を味わわせるのみ。
一般の飼い主は、むしろ、チョークチェーンを使わずに躾できる方法を学ぶ方が、お互いの絆が深まり、より良い人生のパートナーとなるものです。
チョークチェーンを使わないで家庭犬を指導するには、陽性強化法というやり方があります。
L.E.A.Dプログラムというのもあります。
犬の訓練士も、ちゃんと選んで話を聞きましょう。
選ぶ権利は私たち飼い主にある!
っと、テレビを見て、心に決めました。
2008年05月05日
白鳥の憤死
ニュースで流れていましたが、中学生たちに白鳥が7羽も殺される事件が起きていたんですね。
その中学生たちは、首の長い白鳥を棒で殴って首を折るのが面白かったと証言していると。
10代はじめまでに動物虐待した経験のある子は、その多くが成人期にも犯罪に手を染めることになる
殺人犯の4分の1が、少年時代に動物を虐待したことがある、という統計も報告されているほど。
幼児期からの教育において、命の大切さを、きちんと教えていく
これは教育の緊急命題ではないかと思います。
その中学生たちは、首の長い白鳥を棒で殴って首を折るのが面白かったと証言していると。
10代はじめまでに動物虐待した経験のある子は、その多くが成人期にも犯罪に手を染めることになる
殺人犯の4分の1が、少年時代に動物を虐待したことがある、という統計も報告されているほど。
幼児期からの教育において、命の大切さを、きちんと教えていく
これは教育の緊急命題ではないかと思います。




